1980年代、昭和のクリスマスプレゼント

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平成最後のクリスマスが終わり、平成最後の年末年始を終え、ようやく普段の生活に戻ってきた。そのクリスマス時期に、数十年前の小学校時代のクリスマスプレゼントを思い出してみた。ちなみに、誕生日がクリスマスに近いので誕生日のプレゼントは基本的になかった。

1982年12月 小学校1年生

当時のブームはゲームウオッチである。小学校の七夕の短冊には、「げーむをっちがほしいです」と書かれた短冊がかなりあった。

私も欲しかったほうではあったが、もっと欲しいものがあったのです。プラモデルの日本丸だ。ただ小1には早すぎた。冬休み中ずっと作っていたのですが、帆で挫折した。

総帆数29枚。その殆どがバキュームフォームのプラ製だった。小1ではニッパーやハサミは使えてもカッターはうまく使えない。大きく切ってきれいに整形していくという方法も思いつかなかった。そもそもどこで切れば正解なのは解らない作りだったのだ。父が手伝ってくれると言ってはいたが、冬季は比較的忙しい時期で、手伝ってもらうことがないまま私の意欲もなくなり、日本丸は完成することはなかった。

青島文化教材社 大型帆船 No.01 1/150 日本丸

青島文化教材社 大型帆船 No.01 1/150 日本丸

 

  

1983年12月 小学校2年生

父は自営業で忙しかったのですが、サラリーマン時代はゲーム、麻雀、パチンコが大好きな人だったらしい。そういう事もあって、この年は、発売されて間もないファミコンを猛プッシュしてきた。もしくはガラスショーケースに飾るように売っていたMSXも勧めてきた。

が、ゲームウオッチにあまり楽しみを見出だせなかった私は、ゲーム機に興味がなかった。そのおもちゃ売り場で私の心を引いたのは、刺繍キットだった。なぜかイーグサムのワッペンが作りたかった。アニメキャラが作れると謳った商品ではなかったのですが、私ならできると考えて選択したものだった。

この頃のブームと言えば、キン消しとチョロQだったかな。友達の持っていたチョロQの改造セットには憧れた。チョロQ自体にあまり興味がなかったのですが、改造パーツには興味を惹かれました。

街のくるまたち10 187141

街のくるまたち10 187141

 

 

1984年12月 小学校3年生

この時はファミコンが欲しかった。友達の家で何度もゲームをしていたからだ。しかし、世間はゲームに厳しくなっていた。目が悪くなる、勉強ができなくなる、バカになる。母の猛反対を受けゲーム機はだめだった。

去年だったら買ってもらえていたのに。この後悔は非常に大きかった。

ただ、この年は凄いものを買ってもらうことができた。タミヤRCカー ホーネットだ。ラジコンである。タミヤRCカーグランプリというテレビ番組が夕方に放送され、私は欠かさず観ていましたが、まさか買ってくれるとは思ってもいなかった。

まあ、父も遊びたかったということもあったのですが。ただ、小3となると金銭感覚も成長してきているので、金額の凄さは解っていた。ホーネットが9,800円、プロポのセット(コントローラーや受信機など)が12,800円だった。しかも車で1時間以上かかる秋葉原まで買いに行ったのだ。

家の前の広場や、小学校のグランドでよく遊んだ。この手のラジコンを持っている友達は1人で京商のオンロードだったかな。後は1学年上の人がマイティーフロッグを持っていたぐらいで、レースらしいレースはやったことは無かった。

 

1985年12月 小学校4年生

クリスマスプレゼントはプラモデルのハーレーダビットソンだった。弟が小1となりなんか大変そうだから、この頃からプレゼントといえばプラモデルしか選ばなかった。なんかそれが正しいことだと思いこんでいたところがあった。それに、プラモデルは好きだった。ただ、お小遣いやお年玉では買わないようなものを選んだ記憶がある。

そういえば、学校でもプラモデルをつくっていた。小学3年生からはクラブ活動というものがありました。水曜日の6時限は、3年生から6年生まで約600人が各々好きなクラブに1年間継続して参加する。1つの教室に3〜6年生が30人ほど集まってクラブ活動をするのです。もちろん私は工作クラブ。ただ4年生の頃からはプラモデルクラブと化していた。発泡スチロールのベースを使ったジオラマを毎週少しづつ制作していました。たしか5年生の時は3人で1/60のゼータガンダムを購入してジオラマを作った記憶があります。

HGUC -GUNPLA EVOLUTION PROJECT- 機動戦士Zガンダム ゼータガンダム 1/144スケール 色分け済みプラモデル

HGUC -GUNPLA EVOLUTION PROJECT- 機動戦士Zガンダム ゼータガンダム 1/144スケール 色分け済みプラモデル

 

 

1986年12月 小学校5年生

帆船のリベンジ。たしか、キャラック船 サンタ・マリア号だったとおもわれる。布製の帆で全体的にシックな色味。リビングの本棚に飾る前提で作っていましたし、実際3年ぐらいは飾っていた。

この頃は、ガンプラをかなり作っていたので、技術力は上がっていた。なぜかマークⅡばっかり作っていた気がしますが。あと、日本のお城シリーズも作った。

そして、一番印象に残っているのは、箱庭シリーズという草が生えるプラモデルだ。種を蒔いて霧吹きで湿らせておくと草が生えてくるのです。伸び過ぎらたハサミでカット。また作りたいかも。

マイクロエース 1/100 箱庭シリーズNo.01 農家

マイクロエース 1/100 箱庭シリーズNo.01 農家

 

 

1987年12月 小学校6年生

クリスマスプレゼントは、T型フォードのクラシックカーのプラモデルだった。

この頃は、クリスマスプレゼントよりお年玉をしっかりくださいという感じでしたね。

お年玉の使う先はもちろんミニ四駆。いろんなモーターを試したり、グリスにこだわったり、ブームは中1の頃まで続いた感じだった。翌年の弟のクリスマスプレゼントはミニ四駆のレースコースだった。

改造しまくったね。半田ごてで穴は開けまくったし、胴体を改造して単5電池4本突っ込んだ反則マシンも作った。ただ、私がやっていた頃は、本格的なレースコースがなかったので、スタビライザーなどを取り付けたコースレース仕様っての作ったことがなかった。

アバンテの発売は1988年12月なので、中1の時だった。私はもうミニ四駆に興味がなかったが、友達がどうしてもアバンテが欲しくて、おもちゃ屋、模型屋をまわったことがあった。

一店舗、在庫がありそうなところがあったのですが、店主曰く売り切れだと。でも、怪しいのです。そこで友達に「ボールベアリングと一緒に買うならどう?」と言わせてみた。ボールベアリングは高価で、そんなに買えるほどお金を持ってなかったんだけど。そしたら裏からアバンテが出てきたのです。いやー、面白い時代だった。