「お前はこの仕事に向いていないから諦めろ」という趣旨の話が世の中にはあるのですが、
これに対して、丁寧に教えればできるようになるという考えと、そもそも受け身すぎて教わる前提に無いのではないかという考えが基本的にある。
前者の考えに立てば、教える能力、コーチングの話になっていくのですが、そんな丁寧に教えている余裕も無いという世の中の状況もあります。
また後者の考えは、運動なんて一切やってこなかった学生が、「オリンピックに出たいのでスポーツを教えてください」とやってくるようなもので、その分野に進みたければ、学生のうちから独学でもいいから少しはやっているものではないのかということでしょう。
そこには学校教育の問題もあるのでは?
小中学校の教師の一部で、予習を嫌う教師がいます。自分の考える方法・タイミングでしか、子どもたちは本当の意味で理解することができないという考えなのでしょう。
そんな教師は昔からいますが、今は昔と比べてひとクラスの学生が少ない分、目が届き過ぎて締め付けが厳しい。
また、学校に対して親の意見も多くなってきているので、学校側が子どもをいい感じで放っておくこともできなくなっている。
そして、保護者に関してもここ数十年の不景気で、自分の子だけでも安泰であって欲しいと、レールを引きまくり、なんでも先回りして危険を排除してきた。
その結果、全てにおいて受け身の学生が出来上がってしまうのは、仕方のないことかもしれない。
だからか、進みたい分野の学校に進んだとしても、自ら学ぶことはなく、ただ単位を取るだけになってしまう。
独学でできる子と、そうではない子
インターネット世代ということもあるのでしょうか? 何でも答えがすぐに出てくる。疑問に思ったことは、すぐに聞く、調べる。でも、すぐに答えが見つからなければ、その疑問はさっぱりと諦める。
なぜ諦められるのか? 答えがすぐに出ることに慣れすぎて、疑問を疑問のまま保持することが、気持ち悪くなってしまったからなのかもしれない。
だからか、深く考えることをしなくなってしまったようだ。自分がなぜその分野に進みたいのかも、深くは考えていない。(いや、当人は深く考えているつもりなのだろうけど、志望理由を400文字も書けないのではないか?)
でも、そんなインターネット時代でも、独学で頑張ってしまう子はいます。その違いはなんだろうか?
一つには、親の口癖があるのではないでしょうか。
「早くしなさい!」
街なかでよく聞く言葉ですが、これがまずいのではないでしょうか? 小さい子どもから熟考する行為を奪ってしまう。親のタイミング、考え方を押し付けて、すぐに答えを与える。
コーチングは難しい
子育てもコーチングです。自分もついついやってしまうのですが、今の言い方は良くなかったなとか、失敗して欲しくなくて先回りしてしまうとか、いろいろやらかしてしまう。
そういう、気付けることなら次に修正できるのですが、そもそも気付けずにやらかしていることも多々あるのかもしれない。
そもそも、子育てを教育機関で学んでいないのだから、親からの相伝でしかない。一人っ子だったらまさに一子相伝の子育て術になってしまう。
後輩に仕事を教える。この行為も、先輩から教わったことを少しづつバージョンアップさせながら伝えていく相伝なのです。
これらは、コーチングという技術を学ぶことなく世の中に溢れています。
コーチングに関して、私も何冊か本を読みましたが、人に語れるぐらい何かを理解したというレベルに達していませんので、漠然としてしまうのですが、でもコーチングという技術は確かに存在していると思うのです。
ただ、世の中に広く効率の良いコーチング技術が伝わるのは、まだまだ先なのではないでしょうか。
だから、セルフコーチングが必要なのでしょう。自分で自分をコーチする。それは自分のことをよく観察、分析し、深く考えることでできることなのかもしれない。
まとめ
要するに、「はやくしなさい!」と言われて育ったかどうかで人生が変わるのではないかという一つの仮説です。
熟考する子どもかどうか、熟考する余裕が与えられていたかどうかで、その子の伸びしろが変わってくるのではないでしょうか。それは、将来の仕事に少なからず影響するのではないでしょうか。