そろそろ日本人は、襟を正したほうが良いのでは? 桜を見る会で思うこと。

嘘つきは泥棒のはじまり。

最近の子どもは、こんなことは言われていないのかもしれませんが、今の政治家なら誰でも聞いてるフレーズでしょう。「嘘つきは泥棒の始まり」。これは、子どもに対して、親や大人から言われていた言葉で、嘘を平気でついていると、将来は悪い大人に成ってしまうよ、という戒めの言葉。

では、嘘をついている政治家は、泥棒なのか、悪い大人なのか。

ところで、日本の法律ってのは、性善説に則って創られ運用されているものだと思うのですよ。特に、上の地位になるほど悪いことはしないだろうという法律になっていると。政治家、裁判官、官僚、警察官、医者、等々。

政治家は、不逮捕特権や、年間1200万円の領収書の添付や公開なしに使える文書通信交通滞在費などがあるのです。

これらは、この地位についている者が、まず悪いことはしないだろうという、信頼関係のもとに付与されているものであると思うのです。

そして、嘘をつくと言うことは、信頼をなくす行為であって、上の地位についているものがしてはいけない行為の最たるものではないでしょうか。

「嘘つきは泥棒の始まり」。嘘をつくから泥棒になるわけではない。嘘をついていると信頼をなくし、信頼をなくすと泥棒のようなの悪いことをするしか、生きる道がなくなってしまいますよ、ということではないでしょうか。

この国は、性善説で成り立っている。人は生まれながらに善であると漠然と思われているのが、日本の社会です。だからこそ、善ではない悪人は、“人でなし(人間とも思えないような人)”と思われているところがある。これは本来の意味する性善説という言葉から逸脱していますが、これが日本の現状だと思う。

はっきり言って、とても厳しい社会だ。一度信頼を損ねると、再起はなかなか難しい。いつまでも、過去の失敗を避難され続ける社会だ。

だから、非を認めたら負けだ。嘘も、本人が嘘をついていると思っていなければ、そして、そういうことにしておけば、嘘をついたことにはならない。それが、まかり通るのが日本の政治家だ。

まあ、それでも、政治家が嘘をつくって、普通なことではないでしょうか? 狐と狸というか、化かし合いが「政治」という側面はあるとおもうのです。そんな政治家たちをジャッジするのが国民であって、国民がまともなら国も政治もまともなのではないでしょうか。

今、政治家に襟を正して欲しいと思っている人が多いように感じますが、襟を正すのは国民なのかもしれない。