安倍批判はいろんなところに書かれているので割愛します。と思っていましたが、ちょっとだけ。
これは酷い批判なのですが、投げ出しだと思っています。散々会食していて潰瘍性大腸炎ってちょっとおかしくないですか。2012年に総理になったときは完治したって言っていたと思うのですがね。(今回の辞任まで、完治しない難病だということは知らなかったのですけどね。)
病気のことをことさらに言ってもしょうがないので、もう少しまともな批判をするとすると、モリカケ、公文書改ざん、IR汚職、桜を見る会となるのでしょうね。でも、これらは安倍さんに問題があったというよりは、与党、自民党に問題があったのでは? 政治家としてのモラルやプライドはどこへいいってしまったのか? なぜ自民党はモリカケの時にやめさせなかったのか?
今更言ってもしょうがないが、なぜこんなことになってしまったのか。私は、一番の問題は、間違った政治主導にあったと思うのです。
間違った政治主導
官僚主導より政治主導がいいのはわかりきっている。官僚は国民に選ばれたわけでは無いのだから。官僚は自分たちの組織の利益しか考えなくなるのはすでに体験済みなのですし。
だからこそ政治主導なのだが、人事を掌握することが政治主導なのか?
布製マスクを配らせることが政治主導なのか?
政策立案に官僚を排除するのも間違いだし、政治家がテクニカルなことまで指示するのも間違いだと思うのです。
理想的な政治主導の模索
政治家はビジョンを語るだけでいい。官僚はそのビジョンを実行するための政策を複数つくる。そして政治家はそれを国民の前で選択する。
これだけでいいのでは?
官僚がどんな政策をつくったのか、国民に晒す必要があるし
政治家はどれを選択したのか、国民に示す必要がある。
官僚の政策案が使えないのなら、民間シンクタンクを活用すればいい。
その分は官僚の給料を下げ、官僚は実行部隊だけ残ればいい。
国民は、政治家がどの政策を選択したのかをみて、次の選挙に反映させればいい。
例えば、消費税。増税するにもいろりろ選択肢はあったはず。消費税案しか出せない官僚なら必要ない。あらゆる案を勝手に官僚が厳選するべきではない。選ぶのは国民の代表である政治家だ。国民の代表たる政治家たちが国会で議論の末に選んだ政策なら、多くの国民は納得できるはず。
よく、対案を出せという話を聞くが、そもそも、なぜ一つの案だけで議論しようとするのか。与党の中で散々議論した? ではその議論も表でやるべきなのでは? どの政治家が賛成で、どの政治家が反対している等々の憶測の週刊誌記事なんていらないのだ。
私は有権者として、議論がみたいのだ。
新人は議論がヘタでもいいし、勉強不足なら意見が変わっていったっていいし、状況で意見が変わったっていい。まともな議論が私はみいのだ。
7年8ヶ月、国会答弁が、本当につまらなかった。
行政システムを批判しようと書きながら、やはり政治家個人の政治家としての資質が問われないといけないのかもね。
もう、ご飯論法はみたくない。お疲れ様でした。